トップ  »  スマイル  »  福祉の人々  »  フィリピンの弱者を支援し続ける86歳の原ミネ先生

フィリピンの弱者を支援し続ける86歳の原ミネ先生

毎年、普段、ご無沙汰をしている高齢者の方々から年賀状を頂くとホッとします。

そんな私の大先輩の一人に中学高校時代の恩師がいます。恩師といっても、実際に授業を受けたのは数回程度なのですが…。

私がはるか昔(?)通っていたのは私立の女子学院。進学校で今では有名な学校ですが、我々の学年は学校始まって以来の出来の悪い学年だったらしく、目標の大学の入学試験にバタバタと落ちる人が多くいました。その例にもれず、私も、滑り止めを含めて、見事に落ちまくった記憶があります。結局、入学したのは二次募集で受けた卒業大学。先に受けたどこかに受かっていたら、人生、変わっていのではと、いくつになっても思います。

それは余談として、その恩師とは、もと数学の教師の原美根子先生。私が在学中は、教鞭をとられていただけでなく、全体的な生徒指導、学校の経理などにも関わられ、進んで障がい者施設など生徒と一緒にボランティア活動をなさっていた、いわゆる偉い先生でした。ところが、我々は偉そうにも(生意気な年齢なので)、先生のいらっしゃらないところでは平然と「原ミネ」と呼びすてにしたり、仕草を真似したりしていました(先生、ごめんなさい)。それでいて、、卒業してからは、ず~~~っと、すっかり、忘れていたのです(もう一度ごめんなさい)。

ところが、もう10年ほど前のことになりますが、ある日、読売新聞で「フィリピンで活動するセンセー」という、記事を目にしたのです。そこには「定年後、フィリピンに渡り、ボランティアで障害者などの支援をしている、元数学教師がいる。周囲の人たちは、感謝をこめて、その人をセンセーと呼んでいる」といったようなことが書かれていました。そして、記事の写真には、お年を召されたけれども、雰囲気が昔のままの原ミネ先生の姿がありました。

その頃すでに、私は福祉関係の執筆もしていたので、懐かしさと、興味深さで、是非、先生とお会いしたくて、連絡先を探しまくり、ついにコンタクトをとり、お目にかかりに行きました。そして、「先生、私のことを覚えていますか?」と図々しくたずねると「もちろんですとも、よく覚えているわ」と。でも、後で思ったのですが、どう考えてみても数回しか授業は受けていなし、ひと学年250人いたし、中高合わせて6学年だし、何十年も卒業生を送り出しているし、覚えていたというのは…多分、先生の優しさから出た言葉だったと思うのです。

でも、いずれにしても、私と先生の新たなつながりが、そこから始まったのです。再開して、ほとんどすぐに、先生の活動先のマニラにも付いて行きました。先生ははじめ、日本語教師としてトリニティ・カレッジで教鞭をとっていたのですが、学生の中に車いすの学生がいたことで、その学生を通して身体障がい者、貧困家庭の子ども等のために支援や奉仕活動を続けてこられたということでした。日本で資金を集めて、障がい者のための仕事の作業所も完成させました。日本人男性との子どもの育てるフィリピン女性とその子どもの支援などもしてきました。その活動は今でも続いています。そんな先生を見て、私は自分の力の無さを知らずに、すぐにも先生のことを本にまとめることができたらと思ったのですが、いまだに実現していません。

この処、ご無沙汰をしているのですが、2年前にお目にかかった時、もう年齢的にも難しいし、自分の身体のことで他の人たちに迷惑をかけるようになっては申し訳ないので、フィリピンでも活動に終止符を打つとおっしゃっていました。その後気になっていたのですが、私も仕事に追われ連絡できないでいましたが、今年の年賀状にはしっかりとした字で、「15日から3週間フィリピンに行きます。帰ってきたら、お昼を一緒に頂きましょう。ご連絡ください」と書かれていました。ちなみに先生は、今年86歳。定年になられた翌年66歳の時からフィリピンで活動をされ始めたので、今年で20年目になります。いろいろな意味で凄い!素晴らしい!

そんな原ミネ先生のこれまでの、そしてこれからの活動状況も、このHPでお伝えできたらと思っています。

このページの先頭へ