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小針克之助さんの納骨~短くて長い1年間

今月、13日の日曜日に音楽家・ギタリスト(竜童組・六三四)の小針克之助さんの納骨式に参列してきました。親戚でも、長いお付き合いでもないのですが、奥さんの杉もとみな子さん(ミニーストーリーダンス ドリームパフェスタジオ主宰 http://dreamparfait.com/)の本の出版をお手伝いするということで知り合い、最後のお別れに参列させていただいた次第です。

最近は歳のせいか(?)、1年間が非常に短く感じるのですが、この1年間は短く感じつつも、振り返ってみると長く重い、いろいろと考えさせられた1年間でした。

短くも長く感じた1年間…その理由の大半を占めているのが、その小針さんご夫妻とのお付き合いでした。

本の出版のことでご夫妻にお目にかかったのは昨年の春頃でしたが、当初、私は実際の本づくりの作業に関わるつもりは全くなく、「どなたか、下書きする方、紹介しましょうか…」みたいな雰囲気でした。ところが、何故か、ご夫妻揃って、私と仕事がしたいとおっしゃって下さり…私も、お手伝いしようと、秋口にようやく重い腰を上げたのです。

ところが、そんな中、11月下旬に、奥さんのみな子さんから、大事な話があると言われ、伺うと、小針さんはすい臓癌で、医師から余命3カ月と言われたと……そして、できることなら、企画中の本の出版を見届けたいという、小針さんご本人の強い希望があると…

そこで、そうした状況下での本づくりは難しいと思いながらも、昨年の今頃は、小針さんの入院先の病院に数回伺ったり、外でみな子さんと会ってお話を聞いたりしていました。でも、結局、本を形にすることはできず、小針さんは、頑張って頑張って、今年の7月2日、54歳で旅立たれました。

まさに1年前、病院で「俺、死ぬなんて思えない…」と、みな子さんとのことや、ご自身が家出をしてギタリストの道を突き進んだこと、竜童組で活動しているとき宇崎さんに「頑固だ」といわれたこと、六三四として活動しているときメキシコに行き交通事故にあったこと等など…明るく、楽しく話してくれていました。一番辛い中、一生懸命に話していただいたことを思い出すと、本を見せて差し上げられなかったことを、本当に申し訳なく思います。

昨年の11月中旬、小針さんはボランティアで、みな子さんのスタジオの生徒さんたちと一緒に、恒例になっている港区の特養への慰問に行かれていたのですが、その時には、すでに癌を宣告されていたと言います。「俺は今、ホームのお年寄りたちよりも元気だけれど、先に逝くのだと思うと…」と後でおっしゃっていましたが、その時、一生懸命、優しく、お年寄りたちの車いすを押していらした姿は印象的でした。(私は小針さんが癌だということを、その時は知らなかったのですが、何故か、温かい眼差しで、お年寄りを見つめていた姿を覚えています)。人の命は本当にわからない…自分じゃ、本当に決められないんですよね。当たり前のことなのですが。人の命の尊さ、最期まで生き抜く強さ、周囲に対する優しさを教えていただきました。

小針さんのお墓は、厚木の高台にあるお寺、本照寺の墓地。墓石にはギターのイラストが刻まれています。知り合って1年ほどなのに納骨式に立ち会い、奥さんのみな子さん他親戚縁者の方と、法要のあと、近くの七沢温泉に泊ってきました。小針さんとは1年のご縁でしたが、みな子さんとは、この先も、ご縁が続きそうです(人の縁は不思議なものです)

ちなみに因縁の本は、みな子さんが、一からご自分で書くことになりましたが、やはり、小針さんに対しては、生前形にできず、申し訳なかったという思いがぬぐいきれません。

 

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