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音楽ライターを貫いた角野恵津子さん

年明け早々、ショックなことがありました。

ここ何年か、ご無沙汰しているものの、毎年年賀メールを下さっていた、音楽ライターの角野恵津子さんから、今年はメールが来ていません。去年は「遅れてごめんなさい」と書かれて、4日に届いたいたのですが、今年は5日なっても来ないので、ふと、いやな予感がしました。

彼女は10年ほど前に、婦人科系のがんの手術をしたのですが、すっかり元気になって、私の頭の中では彼女とがんは、結びつかなくなっていました。しかし、再発?転移?によって、もう会うことができなくなってしまったのです。

約10年前、今よりも頻繁に連絡を取り合っていました。手術のことをきき、すぐに病院にお見舞いに行くと、彼女は病室にパソコンを持ち込んで、普段と変わらない笑顔で、仕事をしていました。でも、頭に巻かれた赤いバンダナが痛々しかったことを今でもはっきりと覚えています。

手術が成功して退院後。ライブで立っているのが辛くなったという話を聞いて、「今までが元気すぎたのよ」と変な慰め方をしたのも記憶に残っていますが、何しろ、角野さんは人並み以上に頑張りやで、本当にロックなどの音楽が大好きな人でした。

ライターという仕事は浮き沈みがあるし、まして、彼女が好きだった音楽のジャンルは年をとると、若い人にはついていけないなどと離れる人が少なくないのですが、彼女はずっと音楽から、そして音楽ライターという仕事から離れようとはしなかったのです。手術後、身体が本格的に回復していなかったと思うのですが、ライター稼業だけでは経済的に生活できない、でも自分は音楽ライターでいたいと、牛丼屋さんでアルバイトをしていたこともあります。それも、ライブに行く時間、仕事が入ったときの取材の時間と重ならないようにと、真夜中から朝のシフトで、アルバイトをしていたのです。その頑張り用には頭が上がりませんでした。

自分自身で、お気に入りのミュージシャンを集めてコンサートを企画して、主催したことも、幾度となくありました。

何しろ音楽に対して、ものすごく熱い思いを持っていた人なのです。でも、外見はおとなしそうなイメージで、一歩引いている感じ・・・ちょっと姿勢が悪くて、いつも斜め下を見つめているような・・・だから、音楽に関する話をきいていると、その情熱はどこにあるの?といつも思っていました。

数年前、なんでも仕事をしたいということで、福祉関係の本の取材テープのテープ起こしをお願いしたこともありましたが、仕事が早く、1日24時間という限られた時間の中で、いつ仕事をしたのと驚くほどでした。

最近はライブハウス「晴れたら空に豆まいて」で責任者として仕事をなさっていましたが、そこで仕事が決まった時に、聴きにきてとご招待されて行ったのが、結局、彼女との最後になってしまいました。

もっと連絡を取っていればよかったな・・・10月3日に逝かれたのに今頃気がついて、私、ちょっとひどい…でも、こんな急にいなくなるとは思っていませんでした。ホント人間、いつどうなるのかはわかりません。

ここに書けることは本当にわずかですが、いずれにしても、角野恵津子さんという人は、人にこびることなく、大きな組織に迎合することなく、自分の感性に忠実に、音楽ライターという一つのことを貫いた、そして音楽を通して、人を楽しませ、癒した、本当に素晴らしい人でした。

それにしても、55年という人生は短すぎたね。合掌。

 

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