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「きょういく」&「きょうよう」

高齢になったら、「きょういく」と「きょうよう」が必要だと、ずいぶん前に知り合いから聞きました。

この「きょういく」とは、「教育」ではなく「今日行く」。「きょうよう」は「教養」ではなく「今日用」。つまり高齢になった、毎日行く所と、用事を作ることが、生活上大切だということです。なるほど、確かにと共感しながらも、忘れていたのですが、昨年辺りから、この言葉をテレビや本で、取り上げる人が増えてきました。なんで今頃まことしやかに語るのかと思ったのですが…。

それはともかく、この「今日行く」と「今日用」が、いかに人間にとって、精神的に大切なことかを自粛生活で実感されている高齢以前、特に高齢突入直前の方は、少なくないのではないでしょうか?

それに比べて、すでに高齢者となってリタイアされている人は、行く会社なども、頼まれる仕事もない。することが当座無くなっても、社会のいわゆる第一線から離れた経験があるので、することが無くなる、それまでの自分の立場が無くなるという虚しさは体験済み。ですから、外出制限となっても、「仕方ない」「しょうがない」と、どうにか毎日を過ごしているように思います。自粛生活が終了した時のことを考えて、それなりに充実した日を送っている方も多いような気がします。

ただ高齢者は自分自身のことができる間は問題ないのですが、このコロナ禍、介護が必要な方はご本人もご家族も、言葉では言い表せないほど大変だと思います。同時に介護現場で、頑張っていらっしゃる介護職の方々は医療現場の方よりも注視されていませんが、少ない人員で、工夫をしながら、リスクを抱えながら、まさに戦っている感があります。本当に大変だと思うと同時に頭が下がります。

ちなみに、介護の世界は、団塊の世代が75歳以上になると介護崩壊が起きるのではと、コロナ禍の前から言われていましたが、一足早く、今、とても厳しく、難しい現状になっていることは否めません。どうなっていくのか?こうだ!と言い切れる人はいないでしょう。

そこで、介護に係る方たちの努力とは別に、今まで以上に、高齢者自身、歳をとることの覚悟が必要な時代になると、わが身のこととしても感じています。「きょういく」と「きょうよう」。「今日行く」「今日用」だけでなく、これからの高齢者には、これからの世の中の仕組みの中で、心身ともにどう生きていくか、介護をギリギリまで必要としない生活を自分自身で選択していく「教育」「教養」も必須tなるのでは…と、思っています。

 

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