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「『私の人生もまんざらではなかった』と思って欲しい」

コロナ禍で奮闘する保健所の保健師さんの記事を先日目にしました。小さな子どもがいたり、高齢者がいる家庭など以外は、あまり気にすることがない保健師さんの存在ですが、地域などのの健康管理の担い手として、保健所だけでなく、高齢者関連施設、病院、企業などでも活動しています。

保健師さんといえば、10数年前に取材をさせて頂いた保健師さんで、忘れられない方がいらっしゃいます。都内の区役所の高齢福祉課にいらした藤野さんです。藤野さんは出産前、小さなお子さんを育児中の母親たちの相談、感染症予防などを行う部署から、介護保険が始まってしばらくした時から高齢課に配属されたということで、いろいろなお話を聞かせて下さいました。

当時はまだ介護保険制度を利用することに躊躇する方が多かった時期。一人で頑張って介護をする家族が、今よりもかなり多かったことから、介護者に対して介護保険制度をいかに上手に利用するかを説明し、相談にのり、実際に利用する手助けをなさっていました。ご本人は、あくまでもケアマネジャーの後方支援部隊だとおしゃっていましたが、経験の浅いケアマネジャーの方々にとっても、介護する家族、そして介護される方にとっても大きな存在だったと思います。

そんな藤野さんがおっしゃったことで、今でもしっかりと覚えているは、著書にも残したこんな言葉でした。

【すく役に立つ 介護の基本と実践】(誠文堂新光社刊)から

「私たちは24時間の流れの中でほんの少ししか関わっていないのですが、(中略)家族も含めた1チームケアと捉えれば、そのちょっとが合わさって、本人の生活が成り立ったり、家族にもプラスになったりすると思うんです。常日頃思っているのですが、関わった方々が、なんか最期に親切にしてくれる人がいて、私の人生もまんざらではなかったと思っていただけるお手伝いが、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけできればいいなと…」

文章でうまく表せなかったのですが、本当にこの方は話し方が魅力的で素敵でした。この「私の人生…」のお話も実は、もっと面白くお話しくださったのです。「最期におむつをあてるようになって、下の始末も自分でできなくなって、糞尿にまみれ、情けない気持ちになっていしまった時に、ただお世話をするのではなくて、羞恥心とかをできるだけなくすように、サポートして『私の人生も…』と思っていただけたら…」みたいな感じでお話しくださったように覚えています。

下の介助をするとき、専門職でも家族でも、とかく子ども扱いしたり、こんなになってしまってと同情したり、してあげる的な気持ちになりがちですが、「こんなになってしまったけれど、最期みてくれる人がいて、私の人生もまあまあだったな」と、思ってもえらえる介護は最高だと思うし、自分自身も、寝たきりになってそういう介護者にめぐり会えたらいいと、藤野さんを思い出してふと感じました。

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